今、環境浄化のために私たちにできることがある!!
地球に起こっている衝撃的な真実をあなたの目で確かめてみよう!
あなたに聞こえますか地球の悲痛な叫びを!
あなたに聞こえますか山川草木の悲しみの声が!
海が泣いています!
天が怒っています!
聞こえますか?
この怒りは、悲しみは、吾ら人類に訴えているのが聞こえてきます。
皆さんは、昨年度アカデミー賞2部門受賞映画『不都合な真実』というのがありましたが、憶えていますか?
もうご存じだと思いますが、米国の元副大統領アル・ゴア氏が、環境問題への取り組みが評価されてノーベル平和賞を受賞したのか理解できます。
映画を見ると如何に現在は地球危機が迫っているかが解ります。
皆さんも一度映画「不都合な真実」という映画をぜひ見て頂きたいと思います。
この映画を見られた方はきっと思われた事でしょう!
今地球は大変な事になっていると!
そしてあなたは言うでしょう。これから私たちは「どうすれば良いの?」とそうです
今一人一人がどうすれば良いのか考えなければならない時であります。
一人では?と思われるでしょうそう言うために多くの仲間と共に考え情報を提供するのが大切だと 思います。
確かに一人では何も出来ないかもしれませんが、皆で力を合わせれば、些細な事でも大きな事に繋がって行くに違いありません。
私達の未来の為に!
私達の子供為に!
私達の孫や子孫の為に!
そして、あなた自身の為に何が出来るのかを!「不都合な真実」を見られた方は解ると思いますが地球温暖化をこのまま放置しますと自然は私達に人類に夢想だにしない怒りを発することでしょう。
それは、所謂その準備運動として天候気象が変わる。
海流が変わるだろうし、それによって魚場が変わってしまう。
全世界に噴火期が訪れる時代へなってくると思われます。
なぜそんなことが言えるのかと、国連地球温暖化防止活動センターIPCC(気象変動に関する政府間パネル)によりますと2100年に地球の平均気温は、1.4度~8度まで上昇すると発表しております。
しかも、2030年には気温36度以上が少なくとも15日以上続くとIPCCは発表しております。
36度というのは人が耐えうるボーダラインと言われております。
もし20日程続きとしますと熱射病等での死者は予測がつかない。おそらく人類の60%位のこの地球上の生物は死滅すであろうとの見解を発表しております。
しかも、この10年の間に何らかの手を打たなければ、もう対策方法はないとしております。
では温暖化になると具体的にどういう現象が起きるかと言いますと下記の通りです。
1・北極、南極の氷が溶け海面が最大88センチ上昇。
2・マラリア等熱帯性の感染病の発生範囲が広がります。
3・現在絶滅の危機にさらされている生物は、ますます追いつめ
られ、 絶滅に近づく。
4.降雨パターンが大きく変わり、内陸部では乾燥化が進み、
熱帯地域では 台風・ハリケーン・サイクロンといった低気圧が
猛威を振い、洪水や高潮等 の被害が多くなる。
5・気候の変化に加えて、病害虫の増加で穀物生産が大幅に減少
し、 世界的 に食糧難を招く恐れがある。
以上のようなことが起きる事は明白であります。
ですから、一人一人がこれからの夏は冷暖房の節約に心がけるとか、緑を増やす植林運動をして頂く仲間を増やし自然との共存を心掛ける必要性を理解して頂きたいと願うものであります。
皆さんもご自分ができると思うことのご意見があればぜひ投稿して下さい。
2009年8月26日水曜日
2009年8月25日火曜日
新年になって火災が多く発生して幼い命が!!
年始から死者の出る火災が多発しています。
気象庁によると、本州上空では昨年から西高東低の冬型の気圧は配置が続き、特に太平洋側では、空気が乾燥して火災が起きやすい、状態が続いているということです。
一月には富山県南砺市で住宅から出火し、男女六人が死亡。六日には東京都東大和市の商店街が焼け女児が死亡。
さらに千葉県松戸市の団地から出火し幼児三人が死亡するなど、今年になって全国で少なくとも二十件の火災で二十九人が死亡しています。
消防庁は「今後も乾燥状態が続くので、火の元を再度確認してほしい」と注意を呼びかけています。
しかし何故幼児が犠牲になるのでしょうか?
幼児が犠牲になるときは殆どが親が居ないときであります。
この痛ましい事故を回避するためには、被害を受けた方の親御さんには大変に気の毒で、厳しい言葉になるでしょうが、一寸親御さんが気を付ける事により回避されます。
このような火災は、決まって幼い子供さんが一人で居るときであります。
それだけに親御さんは子供に目を向けしっかりとコミニューケーション持つことが望まれます。
今は地球温暖化により冬でも年々暖かくなり乾燥する日が続いているので十分に気を付けて日頃から子供さんとコミニューケーションを持って子供の行動を把握しておく必要があります。
痛ましい事故が少しでもなくなるように願っております。
2009年8月24日月曜日
Hey!Say!JUMPの歌詞
歌詞のメンバーは、有岡大貴、高木雄也、伊野尾慧、八乙女光(Ya-Ya-yah)、藪宏太(Ya-Ya-yah)の高校生5名からなる「Hey!Say!BEST」と、中島裕翔、山田涼介、知念侑李、森本龍太郎、岡本圭人の小中学生5名からなる「Hey!Say!7(ヘイセイセブン)」によって構成される、全員平成生まれの10人組みグループです。このユニット名の「JUMP」は、「Johnny's Ultra Music Power(ジャニーズ・ウルトラ・ミュージック・パワー」の略と言う事らしいです。 それと、「平成時代に高くジャンプしていく」という意味も持つそうです。まあ!兎も角若い子ばかりで、見ていてとても可愛いくあどけなさがあってつい応援したくなりますよ!それと、彼らが歌詞に合わせて元気良く踊っている姿をテレビ等でも見ていても、何か若いエネルギーをもらうような気して、若返りますね。が歌う曲も 歌詞もとてもよいですね。これからの活躍が楽しみであります。
2009年8月23日日曜日
ケインズ像を語る書
ケインズ像を語る書
多面的な天才であったと言われるケインズについて書かれた著作は多いが、あえてジル・ドスタレールはそのことを重々承知の上に書いたと思われる「ケインズの闘い」の特徴は、たんに経済学者としてのケインズの仕事の評価でだけでなく、ケインズの倫理学、政治、芸術などとの関連まで行っていた事を取り上げて、ケインズが社会についての総合的な理解を提示していた事実を強調していることである。
ケインズという人のイメージはいままでは、不況時の赤字財政による公共投資政策と結び付けて語られる事が多いだけに、そのような語りは私達にとって啓発的であると思われる。
しかし、一次文献まで渉猟した著者のジル・ドスタレールの仕事は、必ずしもオリジナルというわけではないと思うが、私達、読者がケインズという20世紀が生んだ偉大な英国人を知るには大変に興味深いものである。
更に特徴をあげれば、社会主義崩壊後のケインズの考え方や理論の再評価をしているものと思われる。
ベルリンの壁崩壊後、「市場原理主義」や「新自由主義」が経済論壇を席巻したが、最近になってようやく市場経済に頼っていただけでは経済格差などが拡大し、社会的公正を確保できないことが
私達にも問題視できるようになった。
ケインズという人は、早い段階から、経済効率と個人の自由と並んで社会的公正を適切に組み合わせなければ政治問題を解決できないという認識もっていたが、ジル・ドスタレールは、ケインズがその問題を「十分に組織されていない社会や人間的誤謬の結果」であると考えた上で、いわゆる自由放任主義の弊害を具体的に論じている。
特に著者のジル・ドスタレールのケインズ経済学の解釈に異論はないが、ケインズが幅広い活動を総体的に提示しようとした事に賞賛をしたいと思う。
多少大部の書であるが関心のある方には一読することを勧めたい本である。
「ジル・ドスタレール」
1946年、カナダ生まれ。
著書にハイエクの自由主義などがある。
多面的な天才であったと言われるケインズについて書かれた著作は多いが、あえてジル・ドスタレールはそのことを重々承知の上に書いたと思われる「ケインズの闘い」の特徴は、たんに経済学者としてのケインズの仕事の評価でだけでなく、ケインズの倫理学、政治、芸術などとの関連まで行っていた事を取り上げて、ケインズが社会についての総合的な理解を提示していた事実を強調していることである。
ケインズという人のイメージはいままでは、不況時の赤字財政による公共投資政策と結び付けて語られる事が多いだけに、そのような語りは私達にとって啓発的であると思われる。
しかし、一次文献まで渉猟した著者のジル・ドスタレールの仕事は、必ずしもオリジナルというわけではないと思うが、私達、読者がケインズという20世紀が生んだ偉大な英国人を知るには大変に興味深いものである。
更に特徴をあげれば、社会主義崩壊後のケインズの考え方や理論の再評価をしているものと思われる。
ベルリンの壁崩壊後、「市場原理主義」や「新自由主義」が経済論壇を席巻したが、最近になってようやく市場経済に頼っていただけでは経済格差などが拡大し、社会的公正を確保できないことが
私達にも問題視できるようになった。
ケインズという人は、早い段階から、経済効率と個人の自由と並んで社会的公正を適切に組み合わせなければ政治問題を解決できないという認識もっていたが、ジル・ドスタレールは、ケインズがその問題を「十分に組織されていない社会や人間的誤謬の結果」であると考えた上で、いわゆる自由放任主義の弊害を具体的に論じている。
特に著者のジル・ドスタレールのケインズ経済学の解釈に異論はないが、ケインズが幅広い活動を総体的に提示しようとした事に賞賛をしたいと思う。
多少大部の書であるが関心のある方には一読することを勧めたい本である。
「ジル・ドスタレール」
1946年、カナダ生まれ。
著書にハイエクの自由主義などがある。
2009年8月22日土曜日
父が子に語る昔話しその2
父親がはだか兎という童話の続きを話しました。
「そこでいろいろと考えたすえ、悪いとは知りながら、海にすんでいるワニを騙すことにしました。
さっそく海岸に出かけて行って、遊んでいる沢山のワニ達にむかって、『ヤアヤア、ワニ君たちとわたしたちと、どちらが大勢の仲間をもっているか、一つ調べてみようじゃないか』
と話かけました。するとワニたちは本気になって
『ウン、それは面白い。いくらお前達がき気張っても、とてもオレたちワニ仲間にはかなわないよ。これからくらべっこしてみよう』
といいだしました。
『よしッ、じゃ~ここから向こうの気多の岬までならんでごらん。わたしがその上を渡りながら教えてみるから』
正直なワニたちは、すっかり私の言う通りになって、仲間をよび集めて、沖から因幡まで、背中をならべて道を作ってくれました。
私はワニの背中の上を、『ヒイ、フウ、ミイ、ヨウ』とかぞえながら、ピョンピョンととびわたってゆきました。
さあ、いよいよ向う岸につくという時です。バカな私はつい、いい気になって、
『ヤ~イお前さんたち、オレに騙されたな~。お前さんたちは、オレの飛石がわりになったんだぞ~』
とさけんでしまったのです。
さあ大変です。ワニたちの怒ったこと、怒ったこと。岸にとび上がろうとした私を、海の中へ引きずり込むと、仲間みんながよって、たかって、さんざん私をぶったたいた上、とうとう大事な毛皮を、すっかり引っぱいでしまいました。
もともと私が悪いのですから、誰を恨むこともありません。
しかたなく、ここでこうして泣いていましたら、さっきここを通りがかられた大勢の神様が、潮水を浴びて、風に当たっていれば良いと教えて下さったものですから、その通りにしたら、よくなるどころか、肌がさけて血だらけになってしまいました。」
兎はそういって、「あ~痛い、あ~痛い」とまた、泣きだしました。
赤裸になって、痛い痛いと泣き叫んでいる兎をご覧になって、優しいお心の大国主命は、大変かわいそうにお思いになりました。
「そりゃ~気の毒だったなァ。よし、わしが助けてやるよ。
さァ、すぐに川へ飛びこんで、体についた潮を洗い落しておいで。
それから蒲の穂先を一杯つみ集めてきて、その上をころがれ。
ぬれた体に満遍なくくっついて、たちまち元の、真白な毛皮になるよ」
命はそう教えておやりになりました。
兎はさっそく、命に教えられたとおりにしましたら、なんと命がおっしゃったとおりに、体の痛みが、ピタッと止ったばかりでなく、いつの間にか元通りの、真白な毛に包まれているではありませんか!
「ワァー、ワァー、うれしい、うれしい」
白うさぎはあんまり嬉しくて、嬉涙が一杯でてきました。
「命様ありがとうございます。お陰さまで、こんなに早く、元通りの姿になれました。
あの八十神様たちは、どんなにおめかしをしても、ぜったいに八上姫には好かれないでしょう。
あなた様はそんなに、みすぼらしいお姿ですが、きっと、八上姫様がお妃様におなりになられましょう」
そういって、白うさぎは何遍も、なんべんもお礼をいいながら、ピョンピョンと山の方へ、とんで行きました。
八十神たちは八上姫のところへ出かけて行って、一人一人に一所懸命に、
「どうかわたしのお妃になってください」
とお願いしました。けれども八上姫は、誰にも、「ハイ、なります」と、いいませんでした。
そうして白兎がいったとおりに、一番みすぼらしい格好をしていた大国主命に、
「あなたのお妃になります」
と、お返事をなさったので、八十神たちは忌々しくて堪りません。
しかたなく八十神たちは、弟の大国主命をせきたてて、ほうきの国の手間の山というところまで来ました。
ここはひるまでも、うすぐらく感じるほどの深い山です。
「そこでいろいろと考えたすえ、悪いとは知りながら、海にすんでいるワニを騙すことにしました。
さっそく海岸に出かけて行って、遊んでいる沢山のワニ達にむかって、『ヤアヤア、ワニ君たちとわたしたちと、どちらが大勢の仲間をもっているか、一つ調べてみようじゃないか』
と話かけました。するとワニたちは本気になって
『ウン、それは面白い。いくらお前達がき気張っても、とてもオレたちワニ仲間にはかなわないよ。これからくらべっこしてみよう』
といいだしました。
『よしッ、じゃ~ここから向こうの気多の岬までならんでごらん。わたしがその上を渡りながら教えてみるから』
正直なワニたちは、すっかり私の言う通りになって、仲間をよび集めて、沖から因幡まで、背中をならべて道を作ってくれました。
私はワニの背中の上を、『ヒイ、フウ、ミイ、ヨウ』とかぞえながら、ピョンピョンととびわたってゆきました。
さあ、いよいよ向う岸につくという時です。バカな私はつい、いい気になって、
『ヤ~イお前さんたち、オレに騙されたな~。お前さんたちは、オレの飛石がわりになったんだぞ~』
とさけんでしまったのです。
さあ大変です。ワニたちの怒ったこと、怒ったこと。岸にとび上がろうとした私を、海の中へ引きずり込むと、仲間みんながよって、たかって、さんざん私をぶったたいた上、とうとう大事な毛皮を、すっかり引っぱいでしまいました。
もともと私が悪いのですから、誰を恨むこともありません。
しかたなく、ここでこうして泣いていましたら、さっきここを通りがかられた大勢の神様が、潮水を浴びて、風に当たっていれば良いと教えて下さったものですから、その通りにしたら、よくなるどころか、肌がさけて血だらけになってしまいました。」
兎はそういって、「あ~痛い、あ~痛い」とまた、泣きだしました。
赤裸になって、痛い痛いと泣き叫んでいる兎をご覧になって、優しいお心の大国主命は、大変かわいそうにお思いになりました。
「そりゃ~気の毒だったなァ。よし、わしが助けてやるよ。
さァ、すぐに川へ飛びこんで、体についた潮を洗い落しておいで。
それから蒲の穂先を一杯つみ集めてきて、その上をころがれ。
ぬれた体に満遍なくくっついて、たちまち元の、真白な毛皮になるよ」
命はそう教えておやりになりました。
兎はさっそく、命に教えられたとおりにしましたら、なんと命がおっしゃったとおりに、体の痛みが、ピタッと止ったばかりでなく、いつの間にか元通りの、真白な毛に包まれているではありませんか!
「ワァー、ワァー、うれしい、うれしい」
白うさぎはあんまり嬉しくて、嬉涙が一杯でてきました。
「命様ありがとうございます。お陰さまで、こんなに早く、元通りの姿になれました。
あの八十神様たちは、どんなにおめかしをしても、ぜったいに八上姫には好かれないでしょう。
あなた様はそんなに、みすぼらしいお姿ですが、きっと、八上姫様がお妃様におなりになられましょう」
そういって、白うさぎは何遍も、なんべんもお礼をいいながら、ピョンピョンと山の方へ、とんで行きました。
八十神たちは八上姫のところへ出かけて行って、一人一人に一所懸命に、
「どうかわたしのお妃になってください」
とお願いしました。けれども八上姫は、誰にも、「ハイ、なります」と、いいませんでした。
そうして白兎がいったとおりに、一番みすぼらしい格好をしていた大国主命に、
「あなたのお妃になります」
と、お返事をなさったので、八十神たちは忌々しくて堪りません。
しかたなく八十神たちは、弟の大国主命をせきたてて、ほうきの国の手間の山というところまで来ました。
ここはひるまでも、うすぐらく感じるほどの深い山です。
2009年8月21日金曜日
母と子の話し「本当の幸せ」
母が子に本当の幸福について話しました?
第一土曜日の晩が「こんばんは」とやってきました。はじめ君のおうちでは、「ミニ勉強会」がひらかれる夜です。
こんやの先生はおばあちゃんです。
「お母さんもはじめちゃんもカナちゃんも、みんなそろいましたね。ではこれからみんなで神様におまいりしましょう。
どうぞこんやもよい勉強をさせていただけるようにってね」
おばあちゃんはそういって、ご神前のまん前にすわりました。
「はじめちゃんとカナちゃん、きょうはケンカしなかった?」
「ケンカなんかしないよォ、ぼくたちこれで仲いいんだよォ」
「ごめん、ごめん。これはしつれい。いえね、おばあちゃんじゃなかった、わたしはつい、お前さん達がよく言い合っているところ見てるもんだから、よくけんかする子達だな~と思ったからです」
「ホッホホホ…。おばあちゃん先生、それはちょっと間違っていますわ、はじめちゃんとカナちゃんがよく言い合いをしてるのは、かえって仲がいいしょうこなんですのよ」お母さんがさもおかしそうに笑いながらせつめいしました。
「オヤ、そうでしたか。そういえばそうかもしれないねぇ。いつもムッツリだまっているのがいいわけはないからねえ。
こんやは幸福の中の『ワ』ということについて、みんなといっしょに勉強させていただこうとおもったので、はじめちゃんとカナちゃんが、なにかっていうとガヤガヤやってるもんだから取り上げたわけです」
「なあんだ、おばあちゃんあれホントにケンカしてると思ったの」
「そうよ、でもケンカでなくてなによりでした。ところで人は、生まれてから死ぬまで、一ぺんもケンカをしたことがない、なんていう人はめったにないとおもいます。たとえばケンカはしなくても、怒ったことはきっとあると思います。
おばあちゃんはずっと昔の若いとき、女のくせに大変に怒りんぼでしたので、怒るということが、健康のうえからも、心のもちかたのうえからも、どんなに悪い結果を起こすものかを、嫌というほど教えられました。
人にとって一番、幸福の元は、健・和・富の三つだよとあります。この三つの中のどれが一つかけていても、ほんとうの幸福とは絶対に言えません。
それはそうでしょう、だってどんなにお金をくさるほど沢山持っていても、体が弱くて、しょっちゅう病気で苦しんでいたのでは、これは幸せとは言えないよねえ。お医者さんに『先生いますぐ、ほしいだけのお金をあげますから、早く元気にしてください。早く!早く~』と頼んでみたって、これはどうにもなりませんよねえ。
また、体は丈夫なんだけど、家族がみんな欲張り揃いで、早くオヤジ死んじまえ、そしたらゴッソリ遺産がオレの懐に転がり込むから、だとか、兄きばっかりに沢山財産を取られて堪るもんか!絶対平度にわけなきゃ、承知しないぞ、なんて思っている兄弟がいたり、おまえ早く嫁に行けよォ。女はいつまでも家にいるもんじゃないんだゾ、なんて嫌みを言って、姉さんや妹に財産の分け前を、少なく分けることばかり考えている男の兄弟がいたり、人間はお金さえうんと持っていれば、どんなことだって思うままになる、なんていう、とんでもないバカなことを、本気にかんがえている人間が、世の中にはウヨウヨいます。
こういう人間は、人様のことなんか、一ぺんも考えたことはないでしょう。だからもちろん、感謝する気持ちなんかも起こしたこともないと思います。自分ほど偉くて、つよい人間はいないと思っているんだから。そんな考えを持っていると、ほかの人と仲よく暮らして行こうなんて、これっぽっちも思わないでしょう。
人はみんなお互いに助け合ってこそ、生かしていただいているんだということなど、一ぺんもかんがえたことがないだろうと、おばあちゃんは思います。大昔からそんなよくばり人間がいましたけれど、でも今の世の中ほど酷くはなかったんじゃないでしょうか」
「わたしもそう思います。いまは大人ばっかりでなく、子供まで、自分さえ得をすればいいんだっていうよくばりっ子が、いっぱいいるように思います」
と、お母さんもそういいました。
「このあいだの勉強会では、「ワ」ということについておはなししました。
カナちゃん、ワを絵にかいたらどんなになるでしょうね?この黒板にかいてみてください」
「ハイッ」
カナちゃんはおばあちゃん先生のそばにある黒板に、赤いチョークでまるいワをかきました。
「では、はじめ君もかいてください」
「ハイッ」
はじめ君はカナちゃんがかいた、赤い丸のそばに、黄いろのチョークで、カナちゃんの丸の十倍もありそうな、大きい丸を書きました。
「オヤオヤ、二人とも同じように、丸いワをかきましたね。ひょっとしたら四角の形に書くじゃないかナ、と思っていたんですがね。
二人とも正しく書けて、わたしは安心しました」
「だってワといったら、丸いに決まってるじゃない。おばあちゃんは四角のワもあると思っていたの?」
はじめ君は変なことをいうおばあちゃんだな~と、心のなかで思ったのです。
「はじめ君のいうとおりです。ワというのは丸いに決まっているものね。ところで人と人がつきあっていくとき、仲よくしようとおもえば、ニコニコとやさしい、おもいやりのきもちをもつから、トゲトゲしたなんかどこにもありません。
ところが喧嘩をしたり、憎み合ったりしている人は、『エエイッ、こいつめ、どうしてやろうッ』という、恐ろしい気持ちを持つから、目は釣り上がったり、口はへの字に曲がっちゃって、それを絵にかいたら、四角どころか、スゴイの、凸凹した形になってしまうでしょう」
「ボク絵にかいてみようか」
「それはあとでかいてね。いまはおはなしをつづけましょう。
なにがしあわせかといっても、ではお父さんもお母さんも、おばあちゃんもはじめ君もカナちゃんも、みんな仲よく、いつもニコニコと暮らせることほど、幸せなことはないと思います。
もしも、ここへある人がやってきて『おばあさん、いま1億円のお金とお宅の明るくていつも楽しい幸せを私に変えてください』といったら、おばあさんは即座に『いいえお金はいりません。わたしは絶対にこの仲よしの幸せをお金にかえることはできません。
これは大事な大事な、わが家の宝ですから』ってことが分かってしまうでしょう、みんなが仲よく暮らすことほど幸せなことはないでしょう」
「本当にそうですわ。でもね、この幸せはなんの努力もしないで得られるものではないと思います。
いくら遠慮のいらない家族同士だといっても、みんながめいめいに、したいほうだい、わがままかってなことを、言ったりしたりしていたのでは、絶対に仲よし親子にはなれないと思います。
いつでも相手の気持ちを思いやってあげるという、優しい心をなくさないようにしないと、明るい、仲よし家族はつくれないと思います」お母さんがそう言いました。
「お母さんの言われる通りです。わが家がこんなに明るくたのしいのは、なんといってもお母さんが、いつも暖かい心を配って下さるからです。
さあ、ここでみんな一緒に、お母さんにありがとうと感謝しましょう」
「さんせーい」
「サンセーイッ」
「お母さんほんとに、本当にありがとう」
「アラ!これは大変、お母さんばっかりが偉いんじゃありません。おばあちゃんがいつも、どんなにお母さんをかばって、励まして下さっているかわからないのよ。
うちで一番気を配って下さるのはおばあちゃん先生です。おばあちゃんありがとうございます!」
「じゃア、おばあちゃんありがとう!」
「ありがとう おばあちゃん!」
「どうもみなさん ありがとうございます。みなさんにお礼をいってもらって、おばあちゃん少し照れてしまいました。でもとてもうれしいですよ」
そういっておばちゃんは、お母さんと顔を見合せて、さも嬉しそうにホッホホホと笑いました。
母と子の話を終ります。
第一土曜日の晩が「こんばんは」とやってきました。はじめ君のおうちでは、「ミニ勉強会」がひらかれる夜です。
こんやの先生はおばあちゃんです。
「お母さんもはじめちゃんもカナちゃんも、みんなそろいましたね。ではこれからみんなで神様におまいりしましょう。
どうぞこんやもよい勉強をさせていただけるようにってね」
おばあちゃんはそういって、ご神前のまん前にすわりました。
「はじめちゃんとカナちゃん、きょうはケンカしなかった?」
「ケンカなんかしないよォ、ぼくたちこれで仲いいんだよォ」
「ごめん、ごめん。これはしつれい。いえね、おばあちゃんじゃなかった、わたしはつい、お前さん達がよく言い合っているところ見てるもんだから、よくけんかする子達だな~と思ったからです」
「ホッホホホ…。おばあちゃん先生、それはちょっと間違っていますわ、はじめちゃんとカナちゃんがよく言い合いをしてるのは、かえって仲がいいしょうこなんですのよ」お母さんがさもおかしそうに笑いながらせつめいしました。
「オヤ、そうでしたか。そういえばそうかもしれないねぇ。いつもムッツリだまっているのがいいわけはないからねえ。
こんやは幸福の中の『ワ』ということについて、みんなといっしょに勉強させていただこうとおもったので、はじめちゃんとカナちゃんが、なにかっていうとガヤガヤやってるもんだから取り上げたわけです」
「なあんだ、おばあちゃんあれホントにケンカしてると思ったの」
「そうよ、でもケンカでなくてなによりでした。ところで人は、生まれてから死ぬまで、一ぺんもケンカをしたことがない、なんていう人はめったにないとおもいます。たとえばケンカはしなくても、怒ったことはきっとあると思います。
おばあちゃんはずっと昔の若いとき、女のくせに大変に怒りんぼでしたので、怒るということが、健康のうえからも、心のもちかたのうえからも、どんなに悪い結果を起こすものかを、嫌というほど教えられました。
人にとって一番、幸福の元は、健・和・富の三つだよとあります。この三つの中のどれが一つかけていても、ほんとうの幸福とは絶対に言えません。
それはそうでしょう、だってどんなにお金をくさるほど沢山持っていても、体が弱くて、しょっちゅう病気で苦しんでいたのでは、これは幸せとは言えないよねえ。お医者さんに『先生いますぐ、ほしいだけのお金をあげますから、早く元気にしてください。早く!早く~』と頼んでみたって、これはどうにもなりませんよねえ。
また、体は丈夫なんだけど、家族がみんな欲張り揃いで、早くオヤジ死んじまえ、そしたらゴッソリ遺産がオレの懐に転がり込むから、だとか、兄きばっかりに沢山財産を取られて堪るもんか!絶対平度にわけなきゃ、承知しないぞ、なんて思っている兄弟がいたり、おまえ早く嫁に行けよォ。女はいつまでも家にいるもんじゃないんだゾ、なんて嫌みを言って、姉さんや妹に財産の分け前を、少なく分けることばかり考えている男の兄弟がいたり、人間はお金さえうんと持っていれば、どんなことだって思うままになる、なんていう、とんでもないバカなことを、本気にかんがえている人間が、世の中にはウヨウヨいます。
こういう人間は、人様のことなんか、一ぺんも考えたことはないでしょう。だからもちろん、感謝する気持ちなんかも起こしたこともないと思います。自分ほど偉くて、つよい人間はいないと思っているんだから。そんな考えを持っていると、ほかの人と仲よく暮らして行こうなんて、これっぽっちも思わないでしょう。
人はみんなお互いに助け合ってこそ、生かしていただいているんだということなど、一ぺんもかんがえたことがないだろうと、おばあちゃんは思います。大昔からそんなよくばり人間がいましたけれど、でも今の世の中ほど酷くはなかったんじゃないでしょうか」
「わたしもそう思います。いまは大人ばっかりでなく、子供まで、自分さえ得をすればいいんだっていうよくばりっ子が、いっぱいいるように思います」
と、お母さんもそういいました。
「このあいだの勉強会では、「ワ」ということについておはなししました。
カナちゃん、ワを絵にかいたらどんなになるでしょうね?この黒板にかいてみてください」
「ハイッ」
カナちゃんはおばあちゃん先生のそばにある黒板に、赤いチョークでまるいワをかきました。
「では、はじめ君もかいてください」
「ハイッ」
はじめ君はカナちゃんがかいた、赤い丸のそばに、黄いろのチョークで、カナちゃんの丸の十倍もありそうな、大きい丸を書きました。
「オヤオヤ、二人とも同じように、丸いワをかきましたね。ひょっとしたら四角の形に書くじゃないかナ、と思っていたんですがね。
二人とも正しく書けて、わたしは安心しました」
「だってワといったら、丸いに決まってるじゃない。おばあちゃんは四角のワもあると思っていたの?」
はじめ君は変なことをいうおばあちゃんだな~と、心のなかで思ったのです。
「はじめ君のいうとおりです。ワというのは丸いに決まっているものね。ところで人と人がつきあっていくとき、仲よくしようとおもえば、ニコニコとやさしい、おもいやりのきもちをもつから、トゲトゲしたなんかどこにもありません。
ところが喧嘩をしたり、憎み合ったりしている人は、『エエイッ、こいつめ、どうしてやろうッ』という、恐ろしい気持ちを持つから、目は釣り上がったり、口はへの字に曲がっちゃって、それを絵にかいたら、四角どころか、スゴイの、凸凹した形になってしまうでしょう」
「ボク絵にかいてみようか」
「それはあとでかいてね。いまはおはなしをつづけましょう。
なにがしあわせかといっても、ではお父さんもお母さんも、おばあちゃんもはじめ君もカナちゃんも、みんな仲よく、いつもニコニコと暮らせることほど、幸せなことはないと思います。
もしも、ここへある人がやってきて『おばあさん、いま1億円のお金とお宅の明るくていつも楽しい幸せを私に変えてください』といったら、おばあさんは即座に『いいえお金はいりません。わたしは絶対にこの仲よしの幸せをお金にかえることはできません。
これは大事な大事な、わが家の宝ですから』ってことが分かってしまうでしょう、みんなが仲よく暮らすことほど幸せなことはないでしょう」
「本当にそうですわ。でもね、この幸せはなんの努力もしないで得られるものではないと思います。
いくら遠慮のいらない家族同士だといっても、みんながめいめいに、したいほうだい、わがままかってなことを、言ったりしたりしていたのでは、絶対に仲よし親子にはなれないと思います。
いつでも相手の気持ちを思いやってあげるという、優しい心をなくさないようにしないと、明るい、仲よし家族はつくれないと思います」お母さんがそう言いました。
「お母さんの言われる通りです。わが家がこんなに明るくたのしいのは、なんといってもお母さんが、いつも暖かい心を配って下さるからです。
さあ、ここでみんな一緒に、お母さんにありがとうと感謝しましょう」
「さんせーい」
「サンセーイッ」
「お母さんほんとに、本当にありがとう」
「アラ!これは大変、お母さんばっかりが偉いんじゃありません。おばあちゃんがいつも、どんなにお母さんをかばって、励まして下さっているかわからないのよ。
うちで一番気を配って下さるのはおばあちゃん先生です。おばあちゃんありがとうございます!」
「じゃア、おばあちゃんありがとう!」
「ありがとう おばあちゃん!」
「どうもみなさん ありがとうございます。みなさんにお礼をいってもらって、おばあちゃん少し照れてしまいました。でもとてもうれしいですよ」
そういっておばちゃんは、お母さんと顔を見合せて、さも嬉しそうにホッホホホと笑いました。
母と子の話を終ります。
2009年8月20日木曜日
母と子の話し!大切なものとは?
母と子が話しました!一番だいじなものは?
はじめ君の家へ、いつものように、近所のお友達の、のぼる君と健一君が、あそびにきました。
三人とも同じ小学校の、仲良しの五年生です。はじめ君のお母さんからもらったおやつを食べながら、健一君が「世界の人間にとって、一番だいじなものはなんだかわかる?」と、ききました。
「それはさァ、お金だよ、もちろん」と、のぼる君がさも自信たっぷりに答えました。 しばらく考えていたはじめ君が「お金もだいじだけどさァ、もっとほかにないかなァ…」と、しきりに首をかしげています。
するとのぼる君が、そんなに考えるのおかしいよ、といわんばかりに「ぼくもお金だと思うよ。だってお金がなかったらさ、なんにもできないし、死んじゃうと思うよ」と、もんだいを出した健ちゃんにさんせいしました。
三人の子供のそばで、はじめ君のセーターをあんでいたお母さんが「そうかしら。でもねのぼるちゃん、お金がなくなっても、人間すぐ死んだりしないわよ。
人間は何がなくなったら死んじゃうのかな?」「あッ、空気だ!」とつぜんはじめ君が、すっとんきょうな声でさけびました。
「ホッホッホッホ…ご名答でした。そう、空気がなかったら、人間すぐ死んじゃうわ、人間だけじゃない、犬だって猫だって、鳥だって、みいんな死んじゃうのよ。そうなると、空気はとっても、とってもだいじなものだって、わかるでしょう」「あッそうか、まいった!」健ちゃんがざんねんそうに頭をかきました。
「あら健ちゃん、まいるのはまだ早いわよ。だってね、空気だけいくらあっても、人間それだけでは生きていかれないわ。さあ、何が足りないかしら?」「ううん…ううん、食べ物ッ!」はじめ君がまた大きな声で叫びました。
「そうね、もちろん食べ物はだいじよね。だけどその食べ物さえ、もっとだいじなものがなければ、一つも作れないんだけどナ……サア、そのだいじなものって、一体なんでしょう?」
三人が顔を見あっているのをみて、お母さんは「わからなかったら、みんな一ぺん外へ出て、空をみてらっしゃい]といいました。
「ワーイ、外へ出よおッと!……空を見ろって?……ああ、わかったァ!」健ちゃんとはじめ君とがいっしょにさけびました。
「それ、太陽でしょう?」のぼる君も叫びました。
「そうよ、やっとわかったのね。お日さまが照らなかったら、世界中まっ暗でしょう。一年中夜だったら、それこそ大変ね。草も木もそだたないから、もちろんお米だって、パンになる小麦だって作れない。太陽が出なかったら、寒くて寒くて、みんなこごえて死んじゃう。だけどね、まだ足りないのよ、だいじなものが…」「太陽と……空気とォ……水ッ!」健ちゃんが自信まんまんにいいました。
「ハイ、ご名答!水がなかったら、一日も生きていられない。お日さまが照るばかりじゃア、なにもかもカラカラにかわいちゃうものねえ。
だからどうしても水がいるのね。太陽は火のかたまりみたいなものだから、火と水と空気、この三つがそろわなければ、世界中の生き物は生きていかれないの。
これで一番大切なものがわかったわね。みんな。きょうはこれだけにして、またこんどお話しましょうね。」
はじめ君の家へ、いつものように、近所のお友達の、のぼる君と健一君が、あそびにきました。
三人とも同じ小学校の、仲良しの五年生です。はじめ君のお母さんからもらったおやつを食べながら、健一君が「世界の人間にとって、一番だいじなものはなんだかわかる?」と、ききました。
「それはさァ、お金だよ、もちろん」と、のぼる君がさも自信たっぷりに答えました。 しばらく考えていたはじめ君が「お金もだいじだけどさァ、もっとほかにないかなァ…」と、しきりに首をかしげています。
するとのぼる君が、そんなに考えるのおかしいよ、といわんばかりに「ぼくもお金だと思うよ。だってお金がなかったらさ、なんにもできないし、死んじゃうと思うよ」と、もんだいを出した健ちゃんにさんせいしました。
三人の子供のそばで、はじめ君のセーターをあんでいたお母さんが「そうかしら。でもねのぼるちゃん、お金がなくなっても、人間すぐ死んだりしないわよ。
人間は何がなくなったら死んじゃうのかな?」「あッ、空気だ!」とつぜんはじめ君が、すっとんきょうな声でさけびました。
「ホッホッホッホ…ご名答でした。そう、空気がなかったら、人間すぐ死んじゃうわ、人間だけじゃない、犬だって猫だって、鳥だって、みいんな死んじゃうのよ。そうなると、空気はとっても、とってもだいじなものだって、わかるでしょう」「あッそうか、まいった!」健ちゃんがざんねんそうに頭をかきました。
「あら健ちゃん、まいるのはまだ早いわよ。だってね、空気だけいくらあっても、人間それだけでは生きていかれないわ。さあ、何が足りないかしら?」「ううん…ううん、食べ物ッ!」はじめ君がまた大きな声で叫びました。
「そうね、もちろん食べ物はだいじよね。だけどその食べ物さえ、もっとだいじなものがなければ、一つも作れないんだけどナ……サア、そのだいじなものって、一体なんでしょう?」
三人が顔を見あっているのをみて、お母さんは「わからなかったら、みんな一ぺん外へ出て、空をみてらっしゃい]といいました。
「ワーイ、外へ出よおッと!……空を見ろって?……ああ、わかったァ!」健ちゃんとはじめ君とがいっしょにさけびました。
「それ、太陽でしょう?」のぼる君も叫びました。
「そうよ、やっとわかったのね。お日さまが照らなかったら、世界中まっ暗でしょう。一年中夜だったら、それこそ大変ね。草も木もそだたないから、もちろんお米だって、パンになる小麦だって作れない。太陽が出なかったら、寒くて寒くて、みんなこごえて死んじゃう。だけどね、まだ足りないのよ、だいじなものが…」「太陽と……空気とォ……水ッ!」健ちゃんが自信まんまんにいいました。
「ハイ、ご名答!水がなかったら、一日も生きていられない。お日さまが照るばかりじゃア、なにもかもカラカラにかわいちゃうものねえ。
だからどうしても水がいるのね。太陽は火のかたまりみたいなものだから、火と水と空気、この三つがそろわなければ、世界中の生き物は生きていかれないの。
これで一番大切なものがわかったわね。みんな。きょうはこれだけにして、またこんどお話しましょうね。」
2009年8月19日水曜日
父が子に語る昔話し
父が子話した童話「はだか兎 」
素盞鳴命から何代も何代もたってから、大国主命という神様がお生まれになりました。 不思議なことに、大国主命には別に、「大あなむらじの命」だの、「あしはらしこをの命」だの、「八千ほこの命」だの、「うつしくにたまの命」などといういろいろなお名がついておりました。
この大国主命には八十神といって、とても大勢のお兄様がありました。ところがどうしたことか、大国主命はとても慈悲深いやさしいお心でいて、だれも相手ができないほど強くて、勇ましいお方だったのです。
それなのにどうしたわけか、大勢のお兄様たちは揃いも揃って、とても意地悪の、根性曲がりばかりでした。
ちょうどこのころに、因幡の国に八上姫という、とてもとても綺麗なお嬢さんが住んでいました。
なにしろ評判の美人でしたので、大国主命のお兄様は、ぜひ八上姫をじぶんのおよめさんにもらいたいと思っていました。
そこでいろいろと考えたすえに、弟の大国主命を騙して、自分達の召使と思われるような粗末な姿にさせました。
そうして大国主命には、大きな袋をせおわせて、じぶん達はめいめいが、ピカピカ光る一番上等の、よそゆきの服を着ておめかしをしました。
こうして歩けば、だれがみても大国主命はお兄様たちの召使にしかみえませんでした。
こうしてみんなは八上姫のところへ出かけました。
大昔のことですから、汽車も電車もありません。なにしろ遠い遠い因幡の国へ、テクテクと歩いてゆくのですから大変です。
いくらげんきな大国主命でも、大勢のお兄様たちの荷物を一杯入れた大袋を背負ってあるくのですから、だんだんくたびれて、気多の岬というところへ来た時には、お兄様たちとは、ずいぶん離れてしまいました。
「弟のノロマめッ」と、ののしりながら、身軽なお兄様たちは平気でずんずんすすんでゆきます。
そのうちに一匹のうさぎが、どうしたわけか皮をはがれて、すっかり赤裸になって、寒そうに震えながら、泣いているではありませんか。
もともといたずら好きの八十神たちは、兎が赤はだかになって泣いているのをみると、これは面白いとばかりに、
「これこれ、おまえはヒドク寒そうじゃないか。早くあったかくなる方法を教えてやろう」
「ありがとうございます。どうかよろしくおねがいいたします」
「よしよし、まず海へ行って、うんと潮水をあびて来い。
そのあと岩さきに立って、よく風に吹かれるのじゃ。だんだんいい気持ちになって、ウツラウツラするうちに、まっ白な毛がフワフワ生えてくるぞ」
さもほんとうらしく、八十神たちは口から出まかせのうそをついて、ペロリと舌を出して、行ってしまいました。
うそとはしらない兎はもう大喜びです。八十神たちの後ろ姿を拝んで、さっそく教えられたとおり、一生懸命潮水をあびては、風に吹かれていましたが、いい気持ちになって、いまに毛が生えてくるどころか、潮水がかわいてくるのといっしょに、ピリピリとはだがさけてきて、そのさけ目から血がふき出てきたではありませんか。
その痛いこと痛いことといったら、兎はとてもがまんできません。兎はそこら中をころげまわって、「痛いよ!痛いよ!」と泣きさけんでいるところへ、お兄様たちからすっかりおくれてしまった大国主命が通りかかりました。
泣きさけんでいる兎をごらんになった命は、「オイオイ、どうしたんじゃ」
とおききになりました。命のお声をきいた兎は、おそるおそる命を見上げますと、さきに大勢通りすぎて行った八十神たちとは、すっかり様子がちがいます。
そまつな服をきているのに、この人は見ただけで、とてもやさしそうな目をしていて、まるっきり感じがちがいます。
そこで兎は安心して、命にすっかりお話をしました。
「わたくしはもともと因幡の者ですが、あるとき大洪水にあって、すんでいた竹やぶと一緒に流されて、おきの国へつきました。
どうにかして故郷へかえりたいとおもって、いろいろ工夫をしましたが、空もとべないし、海をおよぐこともできません。
素盞鳴命から何代も何代もたってから、大国主命という神様がお生まれになりました。 不思議なことに、大国主命には別に、「大あなむらじの命」だの、「あしはらしこをの命」だの、「八千ほこの命」だの、「うつしくにたまの命」などといういろいろなお名がついておりました。
この大国主命には八十神といって、とても大勢のお兄様がありました。ところがどうしたことか、大国主命はとても慈悲深いやさしいお心でいて、だれも相手ができないほど強くて、勇ましいお方だったのです。
それなのにどうしたわけか、大勢のお兄様たちは揃いも揃って、とても意地悪の、根性曲がりばかりでした。
ちょうどこのころに、因幡の国に八上姫という、とてもとても綺麗なお嬢さんが住んでいました。
なにしろ評判の美人でしたので、大国主命のお兄様は、ぜひ八上姫をじぶんのおよめさんにもらいたいと思っていました。
そこでいろいろと考えたすえに、弟の大国主命を騙して、自分達の召使と思われるような粗末な姿にさせました。
そうして大国主命には、大きな袋をせおわせて、じぶん達はめいめいが、ピカピカ光る一番上等の、よそゆきの服を着ておめかしをしました。
こうして歩けば、だれがみても大国主命はお兄様たちの召使にしかみえませんでした。
こうしてみんなは八上姫のところへ出かけました。
大昔のことですから、汽車も電車もありません。なにしろ遠い遠い因幡の国へ、テクテクと歩いてゆくのですから大変です。
いくらげんきな大国主命でも、大勢のお兄様たちの荷物を一杯入れた大袋を背負ってあるくのですから、だんだんくたびれて、気多の岬というところへ来た時には、お兄様たちとは、ずいぶん離れてしまいました。
「弟のノロマめッ」と、ののしりながら、身軽なお兄様たちは平気でずんずんすすんでゆきます。
そのうちに一匹のうさぎが、どうしたわけか皮をはがれて、すっかり赤裸になって、寒そうに震えながら、泣いているではありませんか。
もともといたずら好きの八十神たちは、兎が赤はだかになって泣いているのをみると、これは面白いとばかりに、
「これこれ、おまえはヒドク寒そうじゃないか。早くあったかくなる方法を教えてやろう」
「ありがとうございます。どうかよろしくおねがいいたします」
「よしよし、まず海へ行って、うんと潮水をあびて来い。
そのあと岩さきに立って、よく風に吹かれるのじゃ。だんだんいい気持ちになって、ウツラウツラするうちに、まっ白な毛がフワフワ生えてくるぞ」
さもほんとうらしく、八十神たちは口から出まかせのうそをついて、ペロリと舌を出して、行ってしまいました。
うそとはしらない兎はもう大喜びです。八十神たちの後ろ姿を拝んで、さっそく教えられたとおり、一生懸命潮水をあびては、風に吹かれていましたが、いい気持ちになって、いまに毛が生えてくるどころか、潮水がかわいてくるのといっしょに、ピリピリとはだがさけてきて、そのさけ目から血がふき出てきたではありませんか。
その痛いこと痛いことといったら、兎はとてもがまんできません。兎はそこら中をころげまわって、「痛いよ!痛いよ!」と泣きさけんでいるところへ、お兄様たちからすっかりおくれてしまった大国主命が通りかかりました。
泣きさけんでいる兎をごらんになった命は、「オイオイ、どうしたんじゃ」
とおききになりました。命のお声をきいた兎は、おそるおそる命を見上げますと、さきに大勢通りすぎて行った八十神たちとは、すっかり様子がちがいます。
そまつな服をきているのに、この人は見ただけで、とてもやさしそうな目をしていて、まるっきり感じがちがいます。
そこで兎は安心して、命にすっかりお話をしました。
「わたくしはもともと因幡の者ですが、あるとき大洪水にあって、すんでいた竹やぶと一緒に流されて、おきの国へつきました。
どうにかして故郷へかえりたいとおもって、いろいろ工夫をしましたが、空もとべないし、海をおよぐこともできません。
2009年8月18日火曜日
母が子に話した「返事はげんきよくしましょう!」
母が子に話しました
「返事は元気良くしましょう」と!!
今日はめずらしく、ゆっくりした気持ちで、お母さんとおばあさんは、はじめ君とカナちゃんの仲間入りをして、おやつのおせんべいをバリバリたべながらお話をしていました。
「私きょう本を送るので、郵便局へ行ってきたんですけどね、ずうっと前から、銀行や郵便局へ行くたびに感じていたことを、きょうもまた、感じてかえってきましたわ」 お母さんがそういうと、
「お母さんが何を感じたか、あててみようか?」おばあちゃんがニヤニヤしながら、そういいました。「おばあちゃん、どんなこと?早くいってよ」はじめ君とカナちゃんが、声をそろえて催促しました。
「アラ!おばあちゃんわかります?当ったらおせんべいもう一枚贈呈!」お母さんがおもしろそうに、ふざけていいました。
「エッヘン、ではただいまより申し上げます。それはですね、だれもみな、じぶんの名をよばれても、返事をしない、ということでしょう」
「まァ、当り!!さすが千軍万馬{せんぐんばんば}(経験の豊富なこと)のおばあちゃんだけあるワ!」お母さんがうれしそうに、でもスッとんきょうな声をあげました。
「まさにその通りなんです。だってね、○○さん、って係の人が名を呼ぶでしょう。それなのに、誰も返事をしないんですよ。
私はまた、大事な用事できていながら、一体どこへ行ってしまったんだろうと、心配してあげていたら、もう一度係の人から、○○さんいますか?ときかれて、やっと呼ばれたらしい人が、のっそりと黙って、その係の人の前に行くじゃありませんか。
それが、その人一人だけじゃないんですよね。若い人も年取った人も、男、女のくべつなくみんな、申し合せたように、呼ばれても返事しないで、ぶあいそうな顔をして、通帳やお金をヒッタクルように取って、出て行くのです。たまぁに返事をする人もいますけど、それがまた、係の人にはきこえないような、ひくい声なの。
ねえ、どうせ返事をするなら、なぜもっと、ハイ!て元気よくいえないものかしら」「ふしぎだねえ、お母さんとわたしは、考え方がピッタリこんじゃない!全くお母さんとおなじことを、おばあちゃんも思っていたんだよ。
昔、昔って、おばあちゃんはすぐ、昔のことを持ちだすけどさ、ずうっと昔はこんなじゃアなかったと思うよ。
つんぼさんならしかたないけど、ちゃんときこえる耳を持っているんだったら、自分の名前をよばれて、しらん顔している人は、いなかったと思うよ」
「ボクら、名前よばれたら、ハイッて、返事するよ!みんな、ねえカナ?」「うん!返事するわよ。しなかったら先生にしかられるわよ!」カナちゃんが大きな声で、お兄ちゃんにあいづちをうちました。
「どうしてこんなになってしまったんだろうねえ。戦争にまけちゃってから、日本人のいいとこ、皆どっかへ、捨ててしまったみたいで、ホントに悲しくなってしまうよね」おばあちゃんが真から悲しそうな声で、そういいました。
「だってむつかしいこと言うんじゃなくて、たった一言、ハイ!って言えば済むことなんだのに、どうしてその“ハイ”が言えなくなってしまったんでしょう。
わたしの子供の時、小さい声で返事をすると、父がよく、“声がひくいゾッ、なにも食ってないのかッ”ってどなるので、それがいやで、いやでたまりませんでしたワ。
もちろん今の子みたいに、おいしいものたっぷり食べたことなんかありませんでしたけど、ホッホホホ…」
「もしもだよ、じぶんが○○さんって、目の前にいる人の名を呼んでも、その人が知らんぷりして、返事をしてくれなかったとしたら、どんな気持ちになるかっていうことね。
きっと、いやーな気持になるとおもうよ。あたしなんか、すごく気にするほうだから、そんなことがあったら、一日中クサクサして、たのしく仕事ができなくなると思うわ。 また昔の人のこと言うけど、『己の欲せざることを、人にほどこすことなかれ』(自分がいやだと思うことを、人にしてはいけない)ということわざがあったけど、とにかく人に名前を呼ばれたら、気持ちよくハイッと、返事をいたしましょう。
じぶんだって気持ちがいいにきまっているわよ」おばあさんは、お母さんから一枚おまけにもらったおせんべいを、バリッと半分に割って、はじめ君とカナちゃんにあげました。
「返事は元気良くしましょう」と!!
今日はめずらしく、ゆっくりした気持ちで、お母さんとおばあさんは、はじめ君とカナちゃんの仲間入りをして、おやつのおせんべいをバリバリたべながらお話をしていました。
「私きょう本を送るので、郵便局へ行ってきたんですけどね、ずうっと前から、銀行や郵便局へ行くたびに感じていたことを、きょうもまた、感じてかえってきましたわ」 お母さんがそういうと、
「お母さんが何を感じたか、あててみようか?」おばあちゃんがニヤニヤしながら、そういいました。「おばあちゃん、どんなこと?早くいってよ」はじめ君とカナちゃんが、声をそろえて催促しました。
「アラ!おばあちゃんわかります?当ったらおせんべいもう一枚贈呈!」お母さんがおもしろそうに、ふざけていいました。
「エッヘン、ではただいまより申し上げます。それはですね、だれもみな、じぶんの名をよばれても、返事をしない、ということでしょう」
「まァ、当り!!さすが千軍万馬{せんぐんばんば}(経験の豊富なこと)のおばあちゃんだけあるワ!」お母さんがうれしそうに、でもスッとんきょうな声をあげました。
「まさにその通りなんです。だってね、○○さん、って係の人が名を呼ぶでしょう。それなのに、誰も返事をしないんですよ。
私はまた、大事な用事できていながら、一体どこへ行ってしまったんだろうと、心配してあげていたら、もう一度係の人から、○○さんいますか?ときかれて、やっと呼ばれたらしい人が、のっそりと黙って、その係の人の前に行くじゃありませんか。
それが、その人一人だけじゃないんですよね。若い人も年取った人も、男、女のくべつなくみんな、申し合せたように、呼ばれても返事しないで、ぶあいそうな顔をして、通帳やお金をヒッタクルように取って、出て行くのです。たまぁに返事をする人もいますけど、それがまた、係の人にはきこえないような、ひくい声なの。
ねえ、どうせ返事をするなら、なぜもっと、ハイ!て元気よくいえないものかしら」「ふしぎだねえ、お母さんとわたしは、考え方がピッタリこんじゃない!全くお母さんとおなじことを、おばあちゃんも思っていたんだよ。
昔、昔って、おばあちゃんはすぐ、昔のことを持ちだすけどさ、ずうっと昔はこんなじゃアなかったと思うよ。
つんぼさんならしかたないけど、ちゃんときこえる耳を持っているんだったら、自分の名前をよばれて、しらん顔している人は、いなかったと思うよ」
「ボクら、名前よばれたら、ハイッて、返事するよ!みんな、ねえカナ?」「うん!返事するわよ。しなかったら先生にしかられるわよ!」カナちゃんが大きな声で、お兄ちゃんにあいづちをうちました。
「どうしてこんなになってしまったんだろうねえ。戦争にまけちゃってから、日本人のいいとこ、皆どっかへ、捨ててしまったみたいで、ホントに悲しくなってしまうよね」おばあちゃんが真から悲しそうな声で、そういいました。
「だってむつかしいこと言うんじゃなくて、たった一言、ハイ!って言えば済むことなんだのに、どうしてその“ハイ”が言えなくなってしまったんでしょう。
わたしの子供の時、小さい声で返事をすると、父がよく、“声がひくいゾッ、なにも食ってないのかッ”ってどなるので、それがいやで、いやでたまりませんでしたワ。
もちろん今の子みたいに、おいしいものたっぷり食べたことなんかありませんでしたけど、ホッホホホ…」
「もしもだよ、じぶんが○○さんって、目の前にいる人の名を呼んでも、その人が知らんぷりして、返事をしてくれなかったとしたら、どんな気持ちになるかっていうことね。
きっと、いやーな気持になるとおもうよ。あたしなんか、すごく気にするほうだから、そんなことがあったら、一日中クサクサして、たのしく仕事ができなくなると思うわ。 また昔の人のこと言うけど、『己の欲せざることを、人にほどこすことなかれ』(自分がいやだと思うことを、人にしてはいけない)ということわざがあったけど、とにかく人に名前を呼ばれたら、気持ちよくハイッと、返事をいたしましょう。
じぶんだって気持ちがいいにきまっているわよ」おばあさんは、お母さんから一枚おまけにもらったおせんべいを、バリッと半分に割って、はじめ君とカナちゃんにあげました。
2009年8月17日月曜日
母と子の話し!大切なものとは?その2
やさしい気持ちが大切
「きょうはね、朝のラジオでとてもいいお話をきいたから、それをお話してあげるわ」はじめ君のお母さんは、昇君や健ちゃんにおやつをくばりながら、ニコニコしてそういいました。
「いいお話って何だろうナ?」はじめ君は心の中で、きっとどこかの感心な子供の話なんだろう、と思いながらそういいました。
「健ちゃんたちは、給食がずっとパンだから、ごはんはあまり好きじゃないんでしょう?」「ボクごはんきらいじゃないですよ。だって家には、おじいちゃんもおばあちゃんもいるから、朝からごはんだもん」
「ああ、そうだったわね。昇君は?」「そうだナァ、ぼくは…ぼくは…っと、パンの方がすきだナァ」
「そう、ごはんだって、パンだって、どちらがすきでもいいのよ。ただね、みんな、ごはんは何をたいたら、ごはんになるのか知ってる?」
「お米だろう?」はじめ君が、よく知ってるだろうといわんばかりの顔をしていいました。
「そう、お米だけど、そのお米は何という植物からとれるんでしょう?それからまた、パンは何という植物からとれるのかな?」
「ボクねえ、埼玉のおじちゃんの田んぼで見てきたから知ってるよ。イネからとれるんだよ」「えらいッ、よく知ってるのねえ、健ちゃん。健ちゃんのいうとおり、イネからお米がとれるのよ。
ところがね、去年の夏北海道や東北、北陸の寒い地方では、夏がとっても寒かったんだって。
イネはね、もともと南方の植物だから、日本の寒い地方で作るのは、なかなか骨がおれるのよ。だからさ、うんとお日様が照らないと、ひどい時は、一粒のお米もとれないことだってあるのよ」
「一粒もとれなかったら、どうするの?たべるものないじゃない?」はじめ君も健ちゃんも昇君も心配しました。
「お米がとれなくても、お金さえ出せば、お米屋さんから買ってこられるけどね。お百姓さんはみんな、自分ちでたべるお米だけを作っているんじゃないのよ。ちょうどみんなのお父さんが会社へ行くように、お米やいろいろな野菜や果物やお花などを作って、それを売ってお金にかえて、毎日のくらしをたてているのよ」
「アッそうか。だから埼玉のおじさんちじゃァ、養鶏もやっているんだね」健ちゃんがそういいました。
「そうでしょう。それだから、もし一粒もお米がとれなかったら大変よね。お金がもらえなくなるだけじゃなくて、とても大きな損害になるからなの。それで寒い国のお百姓さんたちは、みんなとても困ってしまったのよ。でもね、けさおばさんが、ラジオできいたお話は、そうした困ったお百姓さんたちの中で、山形県の片倉さんというおじさんの田んぼのイネは、ほかの田んぼのイネとくらべものにならないほどよく実って、お米がどっさりとれたんだって」
「ヘエエ、どうしてそんなにうまくいったの?」はじめ君がくりくりした目を、いっそう大きくしてききました。
やさしい気持ちをもちましょう②
さあ、これからのお話が、だいじなのよ。片倉さんはね、『お米は生き物です。生き物だから、私はじぶんの子供をそだてるような、もみ(イネのたね)をまくときから、イネをかりとるまで、できるだけ心をくばってそだてました。
イネは作るんじゃない、そだてるものです。今は昔とちがって、なにをするにもキカイをつかいます。
キカイは、どんどん仕事をするかわりに、生き物じゃないから、そのキカイのもっている働きだけしかやらない。
いくらりっぱなキカイでも、人間がうごかさないと、キカイは働かない。そうなると、けっきょくそのキカイを使う人間の心のもちかた一つで、結果がちがってくるのです。 寒い国では、一日でもはやくお米をとるために、早くもみまきをして、イネの赤ちゃん(ナエ)をキカイで田んぼにうえつけます。
よいお米をたくさんとるためには、まず、だい一に、丈夫な苗をそだて、よくたがやした、よい土の田んぼに、うえることが大切です。
お天気だけは、これは人間のちからでは、どうすることもできません。それだけに、気候がわるいときは、そだてる人間が、いっそう心をくばって、気をつけてやらなければいけません。
ちょうど、お母さんが赤ん坊をそだてるきもちと、おなじきもちをもつことが大切ですね。ことに東北地方では、気温のひくいときにうえるのだから、私は“保温”については、とても心をくばりました。』
片倉さんはそういうお話をされたのよ。つまりね、この片倉さんはとても心のやさしいお百姓さんだと思うの。そのやさしいきもちを、生き物のイネさんはよく感じたんだとおもうわ。ただね、ここでお母さんは、もう一つつけたしたいことがあるのよ。
やさしいきもちをもつのは、生き物だけじゃないと思うの。たとえば、みんなが使う学用品、ホラ、鉛筆だの、ノートだの、きょうか書だの、ランドセルだのっていう物も、大事につかうのと、らんぼうにつかうのとでは、うんと結果がちがってくるでしょ。
わかった?みんな。きょうのお話はこれでおしまい。
「きょうはね、朝のラジオでとてもいいお話をきいたから、それをお話してあげるわ」はじめ君のお母さんは、昇君や健ちゃんにおやつをくばりながら、ニコニコしてそういいました。
「いいお話って何だろうナ?」はじめ君は心の中で、きっとどこかの感心な子供の話なんだろう、と思いながらそういいました。
「健ちゃんたちは、給食がずっとパンだから、ごはんはあまり好きじゃないんでしょう?」「ボクごはんきらいじゃないですよ。だって家には、おじいちゃんもおばあちゃんもいるから、朝からごはんだもん」
「ああ、そうだったわね。昇君は?」「そうだナァ、ぼくは…ぼくは…っと、パンの方がすきだナァ」
「そう、ごはんだって、パンだって、どちらがすきでもいいのよ。ただね、みんな、ごはんは何をたいたら、ごはんになるのか知ってる?」
「お米だろう?」はじめ君が、よく知ってるだろうといわんばかりの顔をしていいました。
「そう、お米だけど、そのお米は何という植物からとれるんでしょう?それからまた、パンは何という植物からとれるのかな?」
「ボクねえ、埼玉のおじちゃんの田んぼで見てきたから知ってるよ。イネからとれるんだよ」「えらいッ、よく知ってるのねえ、健ちゃん。健ちゃんのいうとおり、イネからお米がとれるのよ。
ところがね、去年の夏北海道や東北、北陸の寒い地方では、夏がとっても寒かったんだって。
イネはね、もともと南方の植物だから、日本の寒い地方で作るのは、なかなか骨がおれるのよ。だからさ、うんとお日様が照らないと、ひどい時は、一粒のお米もとれないことだってあるのよ」
「一粒もとれなかったら、どうするの?たべるものないじゃない?」はじめ君も健ちゃんも昇君も心配しました。
「お米がとれなくても、お金さえ出せば、お米屋さんから買ってこられるけどね。お百姓さんはみんな、自分ちでたべるお米だけを作っているんじゃないのよ。ちょうどみんなのお父さんが会社へ行くように、お米やいろいろな野菜や果物やお花などを作って、それを売ってお金にかえて、毎日のくらしをたてているのよ」
「アッそうか。だから埼玉のおじさんちじゃァ、養鶏もやっているんだね」健ちゃんがそういいました。
「そうでしょう。それだから、もし一粒もお米がとれなかったら大変よね。お金がもらえなくなるだけじゃなくて、とても大きな損害になるからなの。それで寒い国のお百姓さんたちは、みんなとても困ってしまったのよ。でもね、けさおばさんが、ラジオできいたお話は、そうした困ったお百姓さんたちの中で、山形県の片倉さんというおじさんの田んぼのイネは、ほかの田んぼのイネとくらべものにならないほどよく実って、お米がどっさりとれたんだって」
「ヘエエ、どうしてそんなにうまくいったの?」はじめ君がくりくりした目を、いっそう大きくしてききました。
やさしい気持ちをもちましょう②
さあ、これからのお話が、だいじなのよ。片倉さんはね、『お米は生き物です。生き物だから、私はじぶんの子供をそだてるような、もみ(イネのたね)をまくときから、イネをかりとるまで、できるだけ心をくばってそだてました。
イネは作るんじゃない、そだてるものです。今は昔とちがって、なにをするにもキカイをつかいます。
キカイは、どんどん仕事をするかわりに、生き物じゃないから、そのキカイのもっている働きだけしかやらない。
いくらりっぱなキカイでも、人間がうごかさないと、キカイは働かない。そうなると、けっきょくそのキカイを使う人間の心のもちかた一つで、結果がちがってくるのです。 寒い国では、一日でもはやくお米をとるために、早くもみまきをして、イネの赤ちゃん(ナエ)をキカイで田んぼにうえつけます。
よいお米をたくさんとるためには、まず、だい一に、丈夫な苗をそだて、よくたがやした、よい土の田んぼに、うえることが大切です。
お天気だけは、これは人間のちからでは、どうすることもできません。それだけに、気候がわるいときは、そだてる人間が、いっそう心をくばって、気をつけてやらなければいけません。
ちょうど、お母さんが赤ん坊をそだてるきもちと、おなじきもちをもつことが大切ですね。ことに東北地方では、気温のひくいときにうえるのだから、私は“保温”については、とても心をくばりました。』
片倉さんはそういうお話をされたのよ。つまりね、この片倉さんはとても心のやさしいお百姓さんだと思うの。そのやさしいきもちを、生き物のイネさんはよく感じたんだとおもうわ。ただね、ここでお母さんは、もう一つつけたしたいことがあるのよ。
やさしいきもちをもつのは、生き物だけじゃないと思うの。たとえば、みんなが使う学用品、ホラ、鉛筆だの、ノートだの、きょうか書だの、ランドセルだのっていう物も、大事につかうのと、らんぼうにつかうのとでは、うんと結果がちがってくるでしょ。
わかった?みんな。きょうのお話はこれでおしまい。
2009年8月16日日曜日
現代の若者に何故フリーターやニートが多いのかを検証!!
若者が離職する理由は何処にあるのか?
若い人達が、春になると高校や大学を卒業して就職して行く時は希望に満溢れて社会に出て行くのですが、自分が理想としたものとは現実は違う為にこんなはずではないと考えてしまい。
何時の日かこの会社は、自分には向かないと思い込みやがて離職してしまい。
他に就職を求めて新しい会社に入社して行くが、やはりその会社においても前の会社と同様に自分の求めるものとは違う。
その内に離職することに慣れて、職を転々して行き、気が付いた時にはフリーターやニートになってしまった。
こう云うのが多いようであります。
「働く若者」の悩みは、いろいろな原因があるようですが、その中には、必ず対人関係があります。
人間関係には、上司との関係と同僚との関係が最も多いようです。
女子の場合は、セクハラと言うのもあるようですが、「働く若者」のさまざまな悩みを聞いてもらえる信頼できる人がいないと言うのが現実ではないでしょうか又、「働く若者」の悩みを聞いて適切なカウンセリングが出来る体制をとっている企業は少ない為に離職して行く若者があとを絶たないのではないでしょうか
そうした「働く若者」の為に「ネット相談」があると言う事は良い事だと思います。
「ネット相談」で、適切なカウンセリングを受けて働く意欲と目標をしかっリと持ってほしいものだと思います。
どんな些細な事でも聞いてもらうと自分に利き必ずしや未来が開かれ希望と夢が持てるようになる事でしょう。
それから、今一つ就職機会の少ない中で「就職勝ち組み」が何故早期に離職して行くのかという問題であります。
就職氷河期と言われるほどの現在の新卒市場におきましては学生が十分に満足の行く就職先に入れるチャンスは限られています。
学生側の希望就職先にも問題があるとも考えられるがいずれにしてもこの厳しい環境の中で、ある意味妥協の上で、就職して正社員になるのであれば、その後ミスマッチを誘発し離職しやすくなっているのではないでしょうか?1997年で少し古いデーターでありますが初めての会社の主な離職理由は下記の通りであります。
そして、下記が学生キャリア志向であります。
若い人達が、春になると高校や大学を卒業して就職して行く時は希望に満溢れて社会に出て行くのですが、自分が理想としたものとは現実は違う為にこんなはずではないと考えてしまい。
何時の日かこの会社は、自分には向かないと思い込みやがて離職してしまい。
他に就職を求めて新しい会社に入社して行くが、やはりその会社においても前の会社と同様に自分の求めるものとは違う。
その内に離職することに慣れて、職を転々して行き、気が付いた時にはフリーターやニートになってしまった。
こう云うのが多いようであります。
「働く若者」の悩みは、いろいろな原因があるようですが、その中には、必ず対人関係があります。
人間関係には、上司との関係と同僚との関係が最も多いようです。
女子の場合は、セクハラと言うのもあるようですが、「働く若者」のさまざまな悩みを聞いてもらえる信頼できる人がいないと言うのが現実ではないでしょうか又、「働く若者」の悩みを聞いて適切なカウンセリングが出来る体制をとっている企業は少ない為に離職して行く若者があとを絶たないのではないでしょうか
そうした「働く若者」の為に「ネット相談」があると言う事は良い事だと思います。
「ネット相談」で、適切なカウンセリングを受けて働く意欲と目標をしかっリと持ってほしいものだと思います。
どんな些細な事でも聞いてもらうと自分に利き必ずしや未来が開かれ希望と夢が持てるようになる事でしょう。
それから、今一つ就職機会の少ない中で「就職勝ち組み」が何故早期に離職して行くのかという問題であります。
就職氷河期と言われるほどの現在の新卒市場におきましては学生が十分に満足の行く就職先に入れるチャンスは限られています。
学生側の希望就職先にも問題があるとも考えられるがいずれにしてもこの厳しい環境の中で、ある意味妥協の上で、就職して正社員になるのであれば、その後ミスマッチを誘発し離職しやすくなっているのではないでしょうか?1997年で少し古いデーターでありますが初めての会社の主な離職理由は下記の通りであります。
そして、下記が学生キャリア志向であります。
2009年8月15日土曜日
金融危機によるリスクと利益の関係
金融危機によるリスクと利益の関係
現在、米国のサブプライムローン(低所得者向け高金利型住宅ローン)問題をきっかけとした世界の金融収縮により、多くの国で経済危機が発生している。
この原因の一つに金融工学というものにも原因があるように思われる。
この概念で重要なのは、なんと言ってもリスクマネジメントであろうと思われる。
当たり前のことでご存知と思いますが、リスクというのは、投資したお金に関する損失であり、マネジメントとは、基本となる理論と多くのデータから結果を推定し、損失を少なくする方法を考えることであります。
昔イギリスが経済繁栄した時代は、投資家達がインドに航海する船を購入して、命知らずの乗組員を雇って、お茶、香辛料や綿製品などをヨーロッパに持ち帰った。それが莫大な利益を生む投資となった訳です。
だが、東方へ向かう航路を往復する船は、途中で嵐に遭ったり海賊に襲われたりして、船がイギリスに戻ったときには、乗組員の80%以上が死んでしまったこともあったりして、大きなリスクになる事もあった。
しかし、うまくいけば、それだけの儲けを得る事ができる。
従って、利益が大きいほどリスクも大きくなるわけです。
リスク、すなわち投資したお金が戻ってこない可能性を金融工学を用いて解折して、そのリスクに見合うリターン(利益)が得られるなら、投資は正解と言えるだろうと思われる。
金融工学は少数の事象では役に立たない
こうした投資案件を多数ミックスして、リスクを負ったときの損失補てんなどのメカニズムを加え、少なくとも「数学的には」妥当な金融商品が世界中で販売されています。
だが、この金融工学には仮定が多い、ボラティリティー(科学変動の比率)が一定であるとか、市場は効率的(すべての情報は金融市場に反映される)であるなどの仮定であります。
こうした仮定は、長期的には正しいかもしれないが、短期的なものになると正しくない場合がある。
それから、多数の投資案件に関する総合的なリスクの算出は相当困難であると思われます。
例えば、私が風邪で寝込む確率が0・01で1年間に3~4日あるとしますと家族が風邪で寝込む確率が0.02で一年間に7日あるとします。
このとき2人同時に風邪で寝込む確率は、2つの事柄が独立に生じますと、両方の確率の積となり、0.0002で14年間に1日となります。
しかし、家族が風邪をひけばそれが他の人に感染することも多くあり、2人同時に寝込む確率は0.02に近ずきます。
さらに、過去のデータの統計解析で得られるデータは、将来の長期間の事象に対する統計値としての意味はあっても、将来の短期間の変動を予測することは困難であります。
じゃんけんで勝つ確率で考えますと、勝つ確率は0.5であり、100回やれば勝率は、約40%~60%となります。
この勝率は、10回の勝負では18~82%なり、大きく変わります。
もちろん、1回の勝負で勝率を考えると0~100%と正しく大きな変化があるという事になります。
これは、どういう事かというと統計的に正しい結果は、多数繰り返した場合の統計値として使える事ができるが、少数の事業にはあまり役に立たなくなる。
つまり、洗濯機が故障する確率は、メーカーとして修理要員の数を決めるのに役立ち、火災が起きる確率は火災保険の保険金額を決めるのに役立つが、それらに関係する個人としては大きな意味はなくなるのです。
加速する金融危機
もう1つ重要な問題は、金融工学の発達とコンピューターの利用で、金融商品の売買に類以のルールが適用され、動きが同じ方向に流れる危険性が多くなった事が挙げられるということであります。
これは、最悪の結果になることがあるといえます。
例えば、カーナビで考えますと、渋滞した道を避けて、空いている裏道を教えてくれます。
ところが、このカーナビを全員の人が持つと、裏道はすぐに混雑してしまって、渋滞を回避するという事の意味が無くなってしまいます。
そうなれば、その裏をかいて渋滞した道を行った方がスムーズに走れます。
このように考えますと、金融危機は、法律を用いて人為的に止めない限り、金融危機はますます大規模になってしまうということになります。
航空機や原子力発電所のリスクマネジメントによって最小限に事故確率は抑えられ、今ではヒューマンエラー(人為的な過ち)だけがかなりの部分残ることになってしまった。
一方、金融商品の売買での儲けはヒューマンエラーだけで成り立ってしまい、本質的にゼロサムゲーム(合計がゼロになるゲーム)つまり全員が勝つことができないものになっています。
これからの金融政策は、誰かを敗者にすることで得られる繁栄でなく、みんなが少し身を削り、欲望をコントロールして、世界をどん底に陥れる罠から逃れられるものでなくてはならないと思います。
現在、米国のサブプライムローン(低所得者向け高金利型住宅ローン)問題をきっかけとした世界の金融収縮により、多くの国で経済危機が発生している。
この原因の一つに金融工学というものにも原因があるように思われる。
この概念で重要なのは、なんと言ってもリスクマネジメントであろうと思われる。
当たり前のことでご存知と思いますが、リスクというのは、投資したお金に関する損失であり、マネジメントとは、基本となる理論と多くのデータから結果を推定し、損失を少なくする方法を考えることであります。
昔イギリスが経済繁栄した時代は、投資家達がインドに航海する船を購入して、命知らずの乗組員を雇って、お茶、香辛料や綿製品などをヨーロッパに持ち帰った。それが莫大な利益を生む投資となった訳です。
だが、東方へ向かう航路を往復する船は、途中で嵐に遭ったり海賊に襲われたりして、船がイギリスに戻ったときには、乗組員の80%以上が死んでしまったこともあったりして、大きなリスクになる事もあった。
しかし、うまくいけば、それだけの儲けを得る事ができる。
従って、利益が大きいほどリスクも大きくなるわけです。
リスク、すなわち投資したお金が戻ってこない可能性を金融工学を用いて解折して、そのリスクに見合うリターン(利益)が得られるなら、投資は正解と言えるだろうと思われる。
金融工学は少数の事象では役に立たない
こうした投資案件を多数ミックスして、リスクを負ったときの損失補てんなどのメカニズムを加え、少なくとも「数学的には」妥当な金融商品が世界中で販売されています。
だが、この金融工学には仮定が多い、ボラティリティー(科学変動の比率)が一定であるとか、市場は効率的(すべての情報は金融市場に反映される)であるなどの仮定であります。
こうした仮定は、長期的には正しいかもしれないが、短期的なものになると正しくない場合がある。
それから、多数の投資案件に関する総合的なリスクの算出は相当困難であると思われます。
例えば、私が風邪で寝込む確率が0・01で1年間に3~4日あるとしますと家族が風邪で寝込む確率が0.02で一年間に7日あるとします。
このとき2人同時に風邪で寝込む確率は、2つの事柄が独立に生じますと、両方の確率の積となり、0.0002で14年間に1日となります。
しかし、家族が風邪をひけばそれが他の人に感染することも多くあり、2人同時に寝込む確率は0.02に近ずきます。
さらに、過去のデータの統計解析で得られるデータは、将来の長期間の事象に対する統計値としての意味はあっても、将来の短期間の変動を予測することは困難であります。
じゃんけんで勝つ確率で考えますと、勝つ確率は0.5であり、100回やれば勝率は、約40%~60%となります。
この勝率は、10回の勝負では18~82%なり、大きく変わります。
もちろん、1回の勝負で勝率を考えると0~100%と正しく大きな変化があるという事になります。
これは、どういう事かというと統計的に正しい結果は、多数繰り返した場合の統計値として使える事ができるが、少数の事業にはあまり役に立たなくなる。
つまり、洗濯機が故障する確率は、メーカーとして修理要員の数を決めるのに役立ち、火災が起きる確率は火災保険の保険金額を決めるのに役立つが、それらに関係する個人としては大きな意味はなくなるのです。
加速する金融危機
もう1つ重要な問題は、金融工学の発達とコンピューターの利用で、金融商品の売買に類以のルールが適用され、動きが同じ方向に流れる危険性が多くなった事が挙げられるということであります。
これは、最悪の結果になることがあるといえます。
例えば、カーナビで考えますと、渋滞した道を避けて、空いている裏道を教えてくれます。
ところが、このカーナビを全員の人が持つと、裏道はすぐに混雑してしまって、渋滞を回避するという事の意味が無くなってしまいます。
そうなれば、その裏をかいて渋滞した道を行った方がスムーズに走れます。
このように考えますと、金融危機は、法律を用いて人為的に止めない限り、金融危機はますます大規模になってしまうということになります。
航空機や原子力発電所のリスクマネジメントによって最小限に事故確率は抑えられ、今ではヒューマンエラー(人為的な過ち)だけがかなりの部分残ることになってしまった。
一方、金融商品の売買での儲けはヒューマンエラーだけで成り立ってしまい、本質的にゼロサムゲーム(合計がゼロになるゲーム)つまり全員が勝つことができないものになっています。
これからの金融政策は、誰かを敗者にすることで得られる繁栄でなく、みんなが少し身を削り、欲望をコントロールして、世界をどん底に陥れる罠から逃れられるものでなくてはならないと思います。
2009年8月14日金曜日
宇多田ヒカリの曲について
宇多田ヒカル本日は宇多田ヒカルについてのご紹介です。私は、宇多田ヒカルって本当に良いですね。どこが良いかと言いますと、それは当然何と言っても宇多田ヒカルの歌唱力ですよ!それからとても可愛いし、 歌詞も良いですよ。それと若いのにプロとしての自覚があり自分の個性を良く知っていて、自分の合った曲を歌うといった所などは、本当のプロという印象を受けました。それから、アルバム「First Love」が凄い売り上げを記録して話題になりましたよね。私が最も感心した事は、2001年6月8日に起きた、附属池田小事件の被害者の1人が宇多田ヒカルのファンであったこと知り、本来リリースする予定であったシングルカット曲『DISTANCE』をバラード調の曲に作り直し、この子に捧げる曲『FINAL DISTANCE』としてリリースした事であります。若いのに大変にしっかりしているし、素晴らしい心の持ち主であると思います。 宇多田ヒカルの「First Love」は本当に名曲の中の名曲だと思います。 これかも、魂の入った曲を歌い続けてほしいと願っています。
2009年8月13日木曜日
アーティスト「ケツメイシ」!!旅人の「歌詞」
ケツメイシ の旅人の歌詞が私は大変気に入って何回も聞きます。この旅人って本当に素晴らしい曲だと私は思います。まず旅人の冒頭の部分の歌詞ですね、いきなりあのコーラスに感激してしまい。そして、いつものラップ調の部分、よく聴いていないと何を言っているのかはわからない訳ですが、旅人のケツメイシ 歌詞のあのサビの部分なんてとてもいいです。なんか、普段の生活から逃れて自由になったと言う嬉しさや爽やかさみたいなものと、なぜか寂しさと言う相反するものを感じられます。この旅人のように旅に出たい。これは、いつも私もふと思うことがあります。この旅人を聴いて感動してしまったのです。回り道ばかりで悩んでもいいじゃないか。苦しいことの後にはきっと楽しいことが待ってるから、君もがんばろう、私もがんばるから私は旅人のケツメイシ 歌詞からそんなメッセージを伝わってきます。
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