2011年2月1日火曜日

脳活性化と人生の運命

脳を活性化すると運命とチャンスが訪れる!    

 人間の運命は、歯車の如くでもあり、浪のようでもある。週期を持っている。(ここで図を用いたら解り易いと思うが、図省略します。何故かと言うと、文面を良く読んで下さるとその人の独自の周期が出ると思いますのでご自分のこれまでの周期を作って考えて下さい。又、それが脳をリフッレシュさせ活性化に繋がりますから敢えて図を省略することを理解の上熟読して下さい。)

 運命波の高低差Dは、大きく、周期率Eは、さほど長短の変がないようで、大体10年一節のようだ。

 そうしてドン底の3の4、5年。これが余り永いのは深因がある。因を取除く外ない。

 妙法は厳存する。この浪! 人生の波浪!は、よほど、積善の家か、前世で、本人何世のため、人のため、善を残したか、儲けながらも、現に徳を積みつつあるか、でない限り、大方の人は味わう浪であろう。

 「栄枯盛衰、世の習」とも「人生塞翁が馬」とも「人生走馬燈の如し」ともいう。

 そして、Aで、我と慢心が、高潮期に達した人、或は、悪業の集積の人であれば、転落が来て、落差Dは大きく、Bは長期となる。

 相応、因果の理によって、致し方なし。Bで沈淪して、意気消沈、自殺にすら行く。

 Aの時、金の使い方が善であったり、正しくあった頑張り屋か、経済的に、堪えれる余裕を、造っておいた人は、また上向きになって次の山へのし上る。

 Aの時、慢心せず、Bあることを予期し、準備して置くような人か、FからAへの途上の悪を、悔い改めて行く人なら、Bに迄行き着かないで、B`で済み、たといBに行っても、窮せず、焦らずで、短期高揚への上昇期を信じつつ、Cを準備する。枯に窮窮しない。

 無準備で、Bに行きついたとしても、悪ではなかったり、反省のできる人なら、そして真(誠とは違う)で念ずる人であれば、天から声あって、窮すれば道通ずで、徐々に又は急激に、Cへ躍動が始まる。

 Bで、一切が失われたとしても、悲観の要はない。此の際 悪徳の罪業の業だけは、致命的となることがある。

 時として、全財を失い、或は、命をすら失う。真に、改心を要する時でもある。

過ぎ越し方が、善てありヽ真の努力であれば、B時代は、人格の円熟や、智能経験の拡大伸張期であって、晩成への要道となる。

 竹に節あり、レンコンの伸びにも節があると同じだ。

 少し高い思いはするが、月謝と思えば、先ず間違いないようだ。

 高揚周波の上りは、登りなるが故に、幸い。

 八合目は、殊更だ。此処で「どうして斯う、苦が続くのだろう」と、反省は必要だが、「見込がない」「神や仏など、あるもんケ工」てなことになると、挫折となり、大変なことが起き、人生峠の太陽見ずじまいとなる。惜しい哉。といって、執着は禁物だ。

 冷静な自己批判の必要期である。大事なのは、ゴールインだ。八合目の雲の浪を打破って、初めて、人生、御来光を拝むのは、富士山だけじやない。

 これらが、凡人成功者の常道であろうし非凡に通ずる。ただ、天の大任を持つ偉人とやらは、幾度か、AからB、BからCへ、そして、或はD、E、F、と、激流と高浪とに翻弄される。即ち、高低浮沈の差も頻度も大きい。

 自然界では、大任あるものに、名刀鍛錬、熱湯極冷の教えをすら与え給う。これを人生の試しという。

 さもあらん、獅子でさえ、子を以千仭の谷に蹴落すことがあるというのだもの。

 況んや、自然が人間に対する大愛に於て親である。

 自然に慈悲なしだ、なんて考えると、大変な間違いになり、却って自滅に行くことさえある。大慈のみ働きと、大悲のみ働きがある。

 僕は、Cの時迄、我を張って、Cで慢心しては脳の怠慢化であり、人の意見など糞喰え、いや、嘲笑を心に伏せて、Bも又、脳のリフッレシュなく準備しなかった。

 何一つ枝を付け、徳の根分けをして置かなかった。故に此の年になって失敗者となりチンピラに落ちた。

 ヤット、覚らされて、これから、Bの余生に這入る。「遅かりしは、由良之助」だけじやなかった。

 年頭、人生の波を見つめて、今後の残生、如何なる型の浪打たせんか。来って心眼を開かんとせよ。人生開眼の時を得んとせよ。

 偉大なる脳の活性化で人生始めての、そして最後のお年玉となろう。

「節度の意味」と「節度ある生き方」の私の意見!

節度ある生き方とは、無駄を排し節約をすること!
 
 平成20年は全ての人が挙りて「環境問題」に目を向けて行かなくてはなりません。地球温暖化をはじめ様々な危機が叫ばれています。
それだけに一人一人が周囲を見渡して、大切な資源の節約して無駄のない生き方をしていくことが望まれます。
そもそも「節約」というのはどういうことを意味するのでしょう。

 「節」という字は、竹・枝などのふしをいいます。
つまり、竹の幹枝にあるくびれやふしから「節」という文字が生まれので竹冠が付いています。
関節・末節・結節などに使われ、気候の変わり目を季節といいます。
また、程好い、適度、控え目にするというときには、節約・節倹・節水・節電などというのです。
また、ある考えを持って志や行為を変えないことを「節を守る」といいます。
このように「節」には深い意味合いが」ありますが、要するに「節約」とは無駄を省くいていくことであって簡略化することであります。
それ故、簡略の「簡」の字にも竹冠がついているのです。つまり竹のように節があり弾力に富み、上へ上へと伸びて行く性質があります。
故に人は上へ上へと伸びて行かねばなりませんが、伸びる為には節が必要であり、節約・節度を弁えていかねばなりません。
 然るに、今日の世界は節度を失ってエントロビー(熱学的混沌状態)が増大していくばかりであります。
今や人口爆発と資源の乱費によって宇宙船地球号は瀕死の状態に陥っています。
即ち、私どもの生存に欠かせない化石燃料や鉱物が浪費され、その上に、飲み水などの真水までが枯渇する事態を招いておるのであります。
「湯水の如く」という形容がありますが、水や石油が枯渇しつつあるのが今日の現状であります。
それだけに私達の未来の為、子孫の為に資源を大切に使い節約に努めなくてはなりません。