2011年2月12日土曜日

第4章日本列島総不況!脳を活性化して乗り越える「三度目の大変革」

三度目の大変革
① 明治維新
 ご存知の如く明治維新は日本の夜明けと言われ、封建的長い鎖国政策から西洋文明を取り入れようと、初めて世界に門戸を開いた、非常に変化の大きい時代でありました。
私は歴史が好きで、特に明治維新のことは大変に興味がありますが、ここではテーマが少し違いますので、また
の機会に致します。
 とにかく大きく時代が動き大きな改革に時代でありますので、経済関係も大きく動いて行ったのが明治であります。
② 第2次世界大戦の敗北
明治維新が日本のい新しい国造りならば、第2次次世界大戦の敗戦後の混乱は第2の国造りだと思います。
全てを失ってゼロからの再出発で、平和憲法を選んだ日本は、戦争放棄、武装放棄によって身軽になり、農地解放をはじめ色々な新しい制度が導入されました。
 戦後の焼け跡の中で、金もない、資源もない、ただ飢えた国民ばかりがいる状況の中から立ち上がる時、何が1番必要だったのか?
 まずは国民の空腹を満たす為の雇用の場を生み出す産業が必要でした。
産業を興す為には資金が必要であり、資金を調達するには、銀行から借入れしなければならない。
銀行は国民から預金という形でお金を集め産業に貸し出して産業はそれによって成長していくのです。
 このような関係を可能にするために、銀行が倒産するような不安を国民に絶対与えてはならない。
国民が汗水たらして働いて得たお金を安心して銀行に預けてもらい、お金を預かった銀行はこれを産業界に有効に貸し出して行くことが、貧しい日本の国を豊かにする条件でありました。
 そのためにも銀行には倒産の危機を背負わす事の無いよう無理な競争をさけ、保護政策をとり優遇措置を採りました。このシステムが護送船団方式であり、横並び方式でありました。
 政・官・財が一体となり、それに勤勉で豊富な労働力が加わって、効率よく経済運営が行われた結果、日本は世界に例を見ない素晴らしい復興を遂げたのであります。
 その要因は、今と違って、貧しかった当時の日本経済は、政治がしかっり目標を定め、行政すなわち官僚が忠実に実行し、国民が協力するという効率のよいシステムが出来たのです。
その頃の官僚が優秀だったのは勿論ですし、現在のような自分だけの利益や接待や汚職に走る官僚は殆どいなかったし、政治家もまた国益を大事に考える信頼できる人物が多かった。
国民もよく働き、日本の高度成長に貢献しました。
③ 平成の大不況
今日の大不況を招いた原因をいろいろ考えて見ますと、今までの日本経済の高度成長を支えて来たシステムが、今世界に通用しなくなった事、そして日本の国をリードする政治家も、優秀だった官僚も腐敗してしまい、金融システムも機能しなくなって、今迄の不況とは全く違う、構造的な不況になり、その上前項で言いましたように米国のサブプライムローン(低所得者向け高金利型住宅ローン)問題をきっかけとした世界の金融収縮により、多くの国で経済危機が発生してしまい、それに加えて米国の自動車業界ビック3が経営危機に落ち込んでしまい世界不況は泥沼に入った状態であり、資本主義の崩壊ともなりかねない状態まで来てしまったのであります。

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